2015/09/20

豊島美術館で感じたこと

d0084341_1618115.jpg

豊島の美しい風景を見ながら、掃き清められた参道のような小道を歩き、建物の小さく開いた口から中へと入る。

人が持つ感性を宿したような空間、何か感情を持った空間が遠くまで広がっていた。
限りなく外のようだけれど、建築の中にいることは確かに感じる。守られた胎内のようで、安心して横になりたくなる。
建築は石ころのように土地に馴染み、外観があるという感じがしない。「内部空間だけがある」というほどに抽象化・純化された空間があることに驚く。

空間の切れ間が、開口となり外と繋がっている。
というより、空間が外に開いているのだ。
開いているので、外の気配が全て入ってくる。蝶が飛んでいても、間違って建物の中に入ってきたという場違いな感じさえない。
そこには、外とも、内とも言い表せない新しい環境があった。

空と繋がった開口を通して、光は、雲の合間から射す太陽光のように現れ、より抽象化されて柔らかに空間に広がり、刻々と表情を変える。
水が床から湧き出て流れるという動きに、悠久の時を感じると同時に、今、時間が流れていることも認識する。
そこには時間があった。建築に時間の移ろいが内在している。

光の濃淡、風の揺らめき、虫の声、匂い、暖かさ、自然のリズム、時の流れ、人が感じることができる様々なものが少し抽象化・純化され、溶け合い、体に染みる。
感覚の閾値に達さない豊饒な自然の声、微かな環境の移ろいに五感は揺さぶられ、言葉にしたことのない感性が呼び起こされる。
人は自らそこの環境を感じ取り、落ち着く、心地よい、開放的など、体が求める居場所を各々が見つけていく。

自然と建築の境もない。アートと建築の境もない。アートと自然の境もない。
各人がそれらとの距離感を探っていた。


豊島美術館によって、日本建築の歴史に新しい一章が追加され、現代最高の建築が生まれたのだと感じた。

イイダ

  • Twitter
  • Facebook

E-mail:infoarch@furumori.net ASANO2-6-16-3F,KOKURAKITA-KU,KITAKYUSHU-SHI,FUKUOKA,802-0001,JAPAN Copyright@FURUMORI KOICHI ARCHITECTURAL DESIGN STUDIO All right reserved.